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今回は、私の保育観についてのお話です。
明るく元気に、そしてポジティブに進めたい保育業務ですが、なかなかうまくはいきません。
人それぞれ、職員それぞれで仕事観、保育観が異なるのが1つの要因です。
それを話し合って、コミュニケーションを取りながら進めていくのが理想的ですが、私自身言ってることとやっていることが矛盾したり、おおよそ整理がついていない、今後の自身の課題とも言える矛盾した保育観があります。
今回は、現役保育士15年の私自身が感じる矛盾した保育観を2つお話ししようと思います。
ちょっと重くるしいテーマに感じますが、ある種の「あるあるネタ」のような同調する部分もございますので、よろしければ最後までお付き合いください。
なぜ?このテーマを取り上げたのか
まず話の前に、
なぜ、自身の矛盾をテーマとして取り上げようとしたのか、その理由から説明したいと思います。
かなり理屈っぽい内容になっていますので、重苦しいな、と思ったら次の項までお進みください。
仕事は、
単純作業ではなく、自分で考えて進めていく場合、誰しもが自分は正しい、自分の方が正しい、と思い進めていきます。
自分が正しい、と思うわけですから、当然それと違ったやり方、考え方とはぶつかることになります。
当然みんな、自分のやり方で進めたくなるでしょう。
そんな時は、自分の仕事の正当性を主張する必要があります。
そのためには、「まわりを納得させる」必要があります。
自分の正当性をいかに論理だてて主張できるか。
もしくは、
自分という人間がどれだけ信頼に値するか。
を示す。必要があります。
いかに論破できるか。
または、
自身を魅せることが出来るか。
が大切なのです。
これは保育の世界だけの話ではありませんが、保育の世界でもあてはまる話です。
もちろん、自分の思うとおりに進めるには、「権力を握る」というのも1つの方法としてあります。
役職が上であればあるほど現場の決定権を握れます。
自分の仕事が正しいと主張し通すためには出世するのも1つの手でしょう。
もちろんそれが「仕事」としてより良い結果を生むかどうかは別ですが・・。
「権力を握る」に頼らないのであれば、
現場で信頼される人間になる。
相手を納得させられる言動ができる。
これが重要です。
なので、
「あいつ言ってることとやってること矛盾してね?」
「何を言ってるかさっぱりわからん・・。」
「ワンマンだよね・・・。」
では、自分の思い描いた保育は展開できないでしょう、より良い保育も進められないでしょう。
だから、
自分の中にある「矛盾点」。これをまずは理解し、できる限り取り除いていく、という考え行動は仕事を進めるうえでとても大切なことだと思うのです。
自身を客観視し、「矛盾」を意識することは、仕事の質を上げることになるだろう。
そう思い、今回記事にしてみることにしました。
2つの矛盾
では、本題。
まずは、1つ目。
環境構成が大事、いや環境なんて関係ないんじゃないか
保育における環境。
人的環境、物的環境どちらも大事です。
昨今は主体性保育という考えが保育の主流となっています。
主体性保育に関しては、別で説明・考察をしていますのでよろしければこちらをご覧ください。
実は、主体性保育を勉強していく中で、「なるほど」、と思った考え方がありました。
それは、
「子どもには生来、自立・発達していこうとする力(自己教育力)があり、その力が発揮されるためには発達に見合った環境(物的環境・人的環境)が必要である」
というマリア・モンテッソーリの言葉、考え方です。
マリア・モンテッソーリとは、イタリアの医師であり教育者である人物です。「モンテッソーリ教育」が有名ですね。
大人がすべきことは、何かを直接子どもに教え込むことではなく、環境構成が大事と言っています。
私はぼんやりとした理解の中で保育を進めてきましたが、主体性保育を考える中で、この言葉がどんどんしみ込んできました。
子どもの主体的な活動には、子どもが考えて行動できる、可能性を広げられる環境が必須だ。と思うからです。
一方で、
いや環境なんて関係ないんじゃないか
という考えも持っています。
これは保育士になりたての頃から思っていることでもあります。
というのも、
我々保育士が、いや子どもを育てる、子どもと接する全ての人間が共通して持つべきものが、
愛情。
他ならぬ子どもへの愛情。です。
貧しい家庭環境であろうとも裕福であろうとも、平等に、同じように「愛情」は存在します。そうであって欲しいです。
しかし、
お金があると無いとでは環境は大きく異なります。
人でも物でも取りそろえるにはお金がかかりますからね。
ですが、
お金のある無しで環境が変わっても、その環境が愛情の指標になってはいけません。
なので、
環境なんて関係ない。そこに子どもと保育者がいる。それで十分なんだ。たとえそこが青空の下だろうとも。
といった考えを持っています。
環境の構成が必須であれば、
環境を整えてあげられない=愛情が希薄
とも捉えられかねないんじゃないか。
そんな思いをいまだに持っています。
環境を整えられなくても、愛情深く子どもを見ることは可能!
そう思っています。
保育には環境構成が大事、と思いながらも、環境なんて関係ない。
そんな矛盾を感じながら保育業務をこなす毎日なのです。
論理的思考が大事、いや実践は感覚だ
2つ目です。
先の項でも触れましたが、どんな仕事でも論理を構築することは大切です。
〇〇が大切。
なぜならば、
△△だから。
こうするべきだ!
だって・・
◇◇だから!
こういった論理が構築されなければ「筋」が通らなくなります。
なので、子ども相手でも、大人相手でも、その人に分かるような論理を話して進めていくようにしています。
子ども相手の論理って難しいのですが、
「なんでやっちゃいけないんだろう?」
「どうして✖✖なんだろう?」
こういった事を対話して、考えながら進めています。
よく分からない事、理解できないことを強引に押し通されるよりも納得して進める方がスッキリするし有意義です。それは子ども相手でも大人相手でも同じです。
なので、
論理的思考で仕事(保育)は組み立てるようにしています。
一方、
組み立ては論理的に、と分かってはいても、いざ仕事をすると、特に子ども相手では「感覚」の方が大事だな。と感じるのも事実です。
こうやってこうやってこうすればいいんじゃないか。
なぜならば、
こうであーでこうだから・・。
頭にのっけた物を保育現場に降ろします。
でも、うまくいかない・・。
そんな日々です。
保育は「いきもの」だな。
考えるよりも、その時々で感じたことを即座に実践するほうが効率的だな。と感じます。
子ども達も毎日同じように過ごしているわけではありません。
気分でコロコロ変わります。
成長する一方で、昨日できたことが急に今日できなくなることもあります。
なので、
その場その場で感じて「臨機応変に」が大切なのは仕事をすればするほど実感します。
しかし、
そうやって言ったことや考えたことよりも、その場その場で感じたことをやっていく、指示していくと、一緒に保育をする仲間は混乱するんですよね・・・。
「さっきああ言ってたじゃん」
「この前は、違うって言ってませんでしたか?」
そう言われた経験こそありませんが、ふとわれに返った時に、
指示内容メチャクチャだったな・・。
言ってることコロコロ変わってたな・・。
と自己嫌悪、反省することが多いのです。
まとめ
矛盾した考えを持っていると、言っていることとやっていることが伴わず、信頼足らずな人物になりがちです。
しかし、
この2つの点に置いては、整理して一貫性を持った態度で仕事にのぞめていない現状です。
環境構成が大事
いや、
環境なんて関係ない
論理的な思考が大事
いや、
経験則からの感覚が有効
どれも間違っていないように感じます。
もしかしたら、
強引に結論を導きだす必要はないのかもしれません。
永遠のテーマとして考えながら保育を進めていく方が、環境構成に関しての質も、子どもへの愛情も、まわりの人への説得力も、子どもに対する対応のうまさも上がるのかもしれません。
なぜならば、
全てにおいて、より深く考え真剣に取り組むようになるからです。
今回は、いつも以上に理屈っぽい記事内容にお付き合い頂きありがとうございます。
これからも保育に精進し、いろんな角度から保育を捉え、お伝えしていきたいと思いますが、
変わらないのは、
考えることを大切にし、謙虚に真摯に保育に向かっていくということです。