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先日このようなポストをしました。
子ども自らが健康と安全に関する力を身に付けていくことも重要
こども家庭長の保育指針(の健康及び安全)解説抜粋です
「保育」指針ですが、子育てでも意識して欲しい
大人が常に身辺警護できるわけではない
子ども自らが身を守る術を身につける
これも子どもの命を守る上で大切なことです
本日は、現役保育士の自身が感じる、保育所生活「安全」に対する考え方のお話です。
保育指針と照らし合わせながらの、またもや堅いお話となりますが、
近頃の保育現場で感じる、思う所のあるお話になりますので、興味がございましたら最後までお付き合いください。
保育所の性質、役割は!?
「安全」
反対の言葉は「危険」です。
「危険」
ここでは、子どもがケガをする、というニュアンスで考えて頂ければ結構です。
当然、保育園でお子さんをお預かりしているわけですから、無事故無ケガで保護者の方へ引き渡す。
これが理想であり原則です。
ただ、近頃気になっているのは無事故無ケガの為の対策についでです。
対策について?
どういうこと?
無事故無ケガで引き渡すのは当然だろ。
そう思われるかもしれません。
確かにそうです。
お子様を安全にお預かりするのが前提である以上、無事故無ケガで引き渡すことは我々の使命であり義務であるかもしれません。
しかし、ここで考えてもらいたいのは保育所の性質、役割に関してです。
以下保育指針の抜粋を2つ
保育指針の比較的前半部分に出てくる文言です。
ポイントとしたいのは、
- 健全な心身の発達を図ることを目的とする児童福祉施設であり
- 保育所は、子どもが生涯にわたる人間形成にとって極めて重要な時期に、その生活時間の大半を過ごす場である
- 健康、安全など生活に必要な基本的な習慣や態度を養い、心身の健康の基礎を培うこと
です。
これらを要約すると、
保育所は将来における(健康や安全面での)子どもの生きる力を育む場所なんだと読み解くことが出来ると思います。
心身の発達を図る、生涯にわたる、基礎を培う、という言葉から推察できます。
なので、
無事故無ケガで送り出すことは良いことですが、そのために講じる内容が、生きる力を育むということと反していてはダメなんだ、ということです。
近頃思うこと、危惧していることとは・・
ちょっとしたケガも起こさせない。つまり、ケガを経験できない。そんな子育て空間(保育園)が増えてきているのでは?ということです。
確かに我々がボディーガードでお客様(子ども)の身辺警護が仕事であれば、無事故無ケガが理想であり正解でしょう。
しかし、我々は保育士です。
将来における子どもの生きる力を育み、サポートする存在の我々が目指すべきところは果たしてそこなのでしょうか?
失敗体験をしないと乗り越える力を得られない
例えば、
今子どもが一本道を歩いています。
ひたすら歩いています。
その一本道は凹凸の一切ない舗装された道です。
塵1つありません。
そこをまっすぐ歩いています。
仮につまずきそうになっても、誰かが救い上げ、防いでくれます。
そんな道を子どもは歩いています。
しかし、
途中から急に道の形態・様相が変わり、凸凹あり、ツルツルあり、障害物や罠だって仕掛けれらている道に変わりました。
しかも、道が変わってからは、救い上げてくれる人もケガを防いでくれる人もいなくなってしまいました。
さあ、子どもはそのまままっすぐ道を歩き続けることが出来るでしょうか?
ちょっとしたケガも起こさせない、経験できない、そんな子育て空間は、まさにこの前半部分の道を進ませているような気がしてならないのです。
確かに前半部分は子どもにとって楽ちんで無事故無ケガで歩ききることができるでしょう。
しかし!
このままこの道を進み続ければどうなるでしょう?
後半部分で間違いなく挫折し、立ち上がれず、心にも身体にも大きな傷を負ってしまいますよね。
一方で、
前半からそこそこの凹凸のある道を経験し、転んでも自ら立ち上がる経験を積んでいればどうでしょうか?
後半部分でも自力で対処できるような気がしますよね。
人生というのはこんな感じです。
乳児から幼児、学生、社会人と、サポートしてくれる人は常にいるかもしれませんが、少しずつ親元から離れ「自立」が求められます。
苦しい思い。
痛い思い。
辛い思い。
これらは失敗体験をしないと得られません。
その失敗体験をしないと乗り越える力も得られません。
その為には、無事故無ケガを最優先にする、これは違うと思います。
ちょっとしたケガも起こさせない、経験できない、そんな子育て空間は間違っているように思うのです。
防ぐべき事故・ケガ
もちろん、ケガはいいことではありません。
防がなければいけない事故・ケガはあります。
車にひかれる
2階から落下する
アレルギーでアナフィラキシーを起こす・・・
即、命の危険にさらされるものは防ぐ必要があるでしょう。
細心の注意を払い、防がなければなりません。
また、
部屋の中に画びょうが散らばっていた
壁によりかかったら上から時計が落ちてきた・・・
人生で経験する必要のない事故・ケガです。
こういった類のものも、即、命を奪うものではないでしょうが防ぐ必要があるでしょう。
また、
子どもが嫌がる活動を強制させてケガをする
1歳になりたての子を喜ぶからと言ってジャングルジムのてっぺんに連れていき1人にする・・
これらもやってはいけない行為です。(前者は不適切、後者は月齢にそぐわない)
これらのことは、やってはいけない、起きてはいけない事故になります。
子ども自身で意識や機能を高めていくことが大切
こちらも保育指針の抜粋です。
そして、この文章に続くのが、
という文言です。
安全の確保に努めることは必要です。大事です。
しかし、安全の確保は大事ですが、それはサポートする者だけが講じるのではなく、子ども自身で意識や機能を高めていくことも大切なのです。
即、命の危険にさらされるようなことは防がなければいけませんが、子ども自身で意識や機能を高めていく為に、全ての事故・ケガを防ぐ、しかも最優先で防ぐというのは正しいことでしょうか?
それが将来における(健康や安全面での)子どもの生きる力を育むことになるのでしょうか?
最後に
我々保育士は「仕事」をしています。ゆえに賃金も発生し責任も生じます。
残念ながら保育所で子どもがケガをしてしまった場合、それは保育所の責任となります。
子どもが勝手にケガをした、子ども同士でトラブった。そういった場合でも保育所、保育士の責任になります。
ある意味じゃ理不尽なことかもしれません。
その責任の重さ、事故の対応の重さ、クレームの重さ、事後処理の重さ、正直きついです・・。
なので、事故の種やトラブルの芽は摘まなければなりません。
しかし!
その摘んでしまうものの中には、子ども自身の生きる力になるものも含まれてるかもしれません。
なんでもかんでも危ないから、ケガをするからと言って防ぎまくっては子どもの将来の「安全」が確保されません。
常に誰かが守ってくれて、防いでくれるあまり、子ども自身で危険を回避する経験を積めなくなっていませんか?
自らの体や健康に関心をもち、心身の機能を高めていくことができなくなっていませんか?
子どもは愛らしくてかわいい存在です。
一生寄り添って守ってあげたい存在です。
ですが、いつかは巣立っていくものでもあります。
子育て現場、保育所での生活は、
子どもが未来・将来を生きるための、その力を育むための「安全意識」を高める場所であって欲しいものです。
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