【現役保育士による】主体性保育とは? 自由、自主性との違い

雑記

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今保育業界における大きなテーマとなっている、

 

「主体的」・「主体性保育」という言葉。

 

なんとなく理解しているが、いまひとつピンとこない。

そう思っている方も多いのではないでしょうか。

今テーマになっているだけあって、普遍的な正解が存在する、と言えるものではないかもしれません。

実際保育の現場に落とし込んでいくためには、各園、職員の考える力や創意工夫が必要でしょう。

 

本日は、

 

主体性とはなんぞや?

自由ってこと?

自主性との違いは?

 

といった観点から考察、説明していきたいと思います。

 

主体性、主体的な保育を進める上での基礎となる考え、話になりますので、興味がございました是非ご覧ください。ちょっとでも参考になれば幸いです。

 

主体性保育

2018年に保育指針が改訂されてから「主体性保育」という言葉がはびこるようになりました。

が!

実は、保育指針には「主体性保育」が言葉・活字として出てくるわけではありません。

つまり、

定義づけられているわけでも、テーマとして設けられているわけでもないのです。

 

記されているのは、「主体的」という言葉。

 

子どもたちの主体的な活動を(大切に、促す)、といった用いられ方をしています。

それを識者連中が「主体性保育」というかたちで活字化して展開されているのが昨今の主体性保育と言えるでしょう。

 

自由、自主性、主体性それぞれの違いとは?

それでは主体性保育とはいったいどういった保育なのでしょうか?考えていきましょう。

 

まずは、言葉の意味から考えていきたいと思います。

辞書的な意味を記します。

 

主体性

他から影響されることなく、自分の意志や判断によって行動しようとする性質・態度。

 

これに、保育という言葉をくっつけて言語化すると、

 

子ども自身が、他から影響されることなく自分の意志や判断によって行動しようとする保育(活動)

 

こんな所でしょうか。

 

では、自由、自主性についても同じことをしてみましょう。

 

自由の辞書的な意味は、

他から強制や命令をうけることなく、自分の思いどおりにできること。

 

これに、保育という言葉をくっつけて言語化すると、

 

子ども自身が、他から強制や命令を受けることなく、自分の思いどおりの行動、活動をする保育

 

自主性の辞書的な意味は、

他に頼らず、自分の力で考えたり行なったりすることのできる性質。

 

これに、保育という言葉をくっつけて言語化すると、

 

子ども自身が、他に頼らないで自分の力で考えたり行ったりすることができる保育

 

これで3つ出そろいました。

改めて意味を3つ抽出してみます。

  • 子ども自身が、自分の意志や判断によって行動しようとする保育(活動)<主体性>
  • 子ども自身が、他から強制や命令を受けることなく、自分の思いどおりの行動、活動をする保育<自由>
  • 子ども自身が、他に頼らないで自分の力で考えたり行ったりすることができる保育<自主性>

 

非常に似ています。

 

共通する部分もあります。

「子ども自身の意志が働く」、という点です。

 

主体性保育は、子ども自身の意志が働く、という点に重きを置くのが入り口となるでしょう。

 

先生が決めた活動を。

先生が決めたスケジュールを。

先生が決めたルールを。

これらが主となって保育展開されているのであれば、それに、子ども自身の意志を働かせる、という考えをプラスすれば、今までとは違う、主体的な保育に近づくでしょう。

まずは、そういったところから取り組んでいくのが地に足をつけた進め方でしょう。

 

ですが、

せっかくここまで3つの意味をまとめて考えてきたので、もう少し真理を追ってみたいと思います。

ここからはもう少し深掘りして、それぞれの違いについて考察していきます。

 

意味を深掘り

それぞれの違いを言葉から考えてみて、まず行きついたのが、

自由の中に主体性、自主性がある。ということです。

自由というのは、自分の思うとおりの行動です。

子ども自身が自分が思ったとおりの行動をする保育が自由保育です。

主体性、自主性というのは、その自由な行動の決定判断をえさせるのが大事、といった部分が違いであり重要となります。

 

つまり!

 

子どもが自由に1日過ごします。自由保育です。

その中で、子どもが「こうしたいな」「こうすべきだな」「こうしよう!」と思い、考えながら保育が展開されていくのが、主体性であり、自主性となるのです。

 

ここで、自由保育、を切り取ります。

 

自由保育とは、子ども自身の決定判断を促す・考える、といったものを特に設定しない中で、ただ人を配置して、おもちゃやスペースだけ作って自由に過ごしていいよ。という保育。

 

自由保育、というものの中に主体性、自主性、があります。

ですが、自由保育を主体性保育、自主性保育、と別のくくりで言語化するとこういった形になります。

 

もちろん、ただ自由に過ごすだけでも、その環境構成や設定が絶妙であれば、結果的に主体的な活動になるかもしれません。

なので、これが一概にダメダメな保育、とは言えないでしょう。

しかし、子ども自身が考える、その考える力を促す、というのが欠如しているのであれば、今保育現場で目指すものとは異なります。

 

続いて、主体性と自主性の違いについて考えていきます。

これは正直、辞書的な意味として、大きな違いはないように思います。

自分の意志や判断によって行動しようとする主体性。

自分の力で考えたり行ったりすることができる自主性。

一体何が違うのでしょうか?

 

どちらにも共通するのは、「子どもが考える」、ということ。

 

そしてポイントは、

主体性・・・他に影響されることなく

自主性・・・他に頼らず

という辞書的な意味での違いだと思います。

 

これは先に結論を記しましょう。

 

自主性・・・子ども自身が率先して活動しようとする、ルールを守ろうとする保育

 

主体性・・・活動やルールそのものも子ども自身が考えていける保育

 

説明しやすさの観点から、ここからは自主性を先に持ってきたいと思います。

ここでいうルールとは、決まりごと、スケジュール、活動・行動、といった人が社会生活を営む上で守っていくもの全般を指します。

保育園では、1日の活動全般と言ってもいいでしょう。

 

具体例

分かりやすい例えを用いたいと思います。

 

〇〇時になりました。さあ、おもちゃを片づけてお外に行きたいと思います。

先生「はーい、それじゃあ、お外に行くよ~。お片付けしましょう~」

子ども「は~い、・・・えっさほらさ、お片付け!」

 

こんな場面、毎日のようにありますよね。

 

自主性の場合

〇〇時になりました。さあ、おもちゃを片づけてお外に行きたいと思います。

先生「はーい、それじゃあお外に行くよ~。・・・・・・・・」

子ども「は~い、・・・えっさほらさ、お片付け!」

 

 

違い、分かりますか?

 

 

子ども自身が「お片付け」、と言われずとも率先してお片付けをしています。

子どもが自ら考えて「お外に出るんだから、お片付けしなくちゃいけないんだな」と理解して、率先してルールを守ろう(お片付けしよう)としています。

他の人や、「お片付けするよ~」の言葉に頼ることなくお片付けを進めています。

 

 

では、主体性の場合はどうなるのでしょうか?

 

主体性の場合

お外に行きたいと思います。

子ども「えっさほらさ、お片付け!」

 

こうなります。

 

だいぶはしょられましたね。

 

主体性というのは、ルールそのものも子ども自身が考える保育になります。

もちろん現実問題、子どもの安全や健康面を脅かすルールに関しては先に答えを作る必要があるかもしれません。

残念ながら、見守る職員の体制や労務も加味してスケジューリングしなきゃいけないこともあるでしょう。

 

しかし!

 

ルールそのものも子ども自身が考える、となると、

〇〇時になったからお外に行く。というルールも、

お外に行く為にはお片付けをしなきゃいけない。といったルールも、そもそもないのです。

 

ルールがない、つまり0の状態からお片付けまで持っていけるようになるのです。考えることによって。

「お片付けをしなければいけない」といったルールがないのにお片付けをする。

あらかじめ決められた何か(ルール)に影響されることなく、考えることによって「お片付け」を選び出すようになる。のです

 

 

ちょっとだけまとめます。

 

自主性は、

毎日お外に行く前にはお片付けをする。というのが習慣化され、いつしかそれを率先して子どもたちがやるようになること、を言います。

子どもたちが率先してやっています。誰かの言葉や声に頼ることなくやっていますが、ルールは大人が決めたもの。

そのルールに影響を受けています。

 

一方主体性は、

子ども自身が、”お外に行くんだったらお片付けを先にした方がいいな”、と考えて行動できるようになり、いつしか子ども自身がルールを作りあげていくこと、を言います。

 

あらかじめ大人たちが決めた何か(ルール)に影響されるわけではなく、ルールそのものも子どもたちが決めています。考えることによって。

 

そこが違いなのです。

 

お外から戻ってきてお部屋が散らかっているのが嫌だな。

 

次の活動に移るには一旦片づけた方が気持ちいいな。

 

結果、

子どもたちが考えて、導き出して「お片付け」といったルールや活動を行うようになるのです。

 

こういった考えを促すのが主体性になります。

 

自分の力で率先して動けるようにする自主性保育に対し、率先して動くべきかどうかの判断まで促すのが主体性保育なのです。

 

勘違いのないように述べると、率先してお片付けをする、というのも大変素敵な行動で、そういった姿が見られるクラス、園、というのは全く恥じるべきものではありません。

ただ、主体性というのは、我々が当たり前のように守っているルールや、やっている行動そのものも子どもたちに考えさせましょう。子どもたちと一緒に考えて決めていきましょう。といったものなのです。

それが今テーマとなっている、目指すべき方向なのです。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか?

ちょっと小難しいテーマでしたが、これからの保育にとっては避けて通れないテーマを考察、説明してきました。

主体性保育というのは、考える保育、に他なりません。

もちろん実際の保育現場では、即大事故になるようなことは先に答えを示す必要があるでしょう。

しかし、全般を通して展開されるべきは、子ども自身が考えて行動し、失敗を繰り返しながら、生きる力、考える力を育むことにあるようです。

これからは、保育を展開する時には一旦立ち止まり、「主体性」という観点から子どもたちとの毎日を考えていけたらな。と思います。

 

自由保育

  • 子ども自身の決定判断を促す・考える、といったものを特に設定しない中で、ただ人を配置して、おもちゃやスペースだけ作って自由に過ごしていいよ。という保育。

 

自主性保育

  • 他に頼ることなく子ども自身が率先して活動しようとする、ルールを守ろうとする保育

 

主体性保育

  • 他に影響されずに、活動やルールそのものも子ども自身が考えていける保育

 










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